2023年8月5日相棒の赤帽車を代替えしました 左の写真は幌高を1,780mmの高さにしています。 MAXの幌高は1,780mmまで可能なので17,00mmまでの冷蔵庫も雨を気にせず運ぶ事が可能になりました。 |
赤帽植原運送の荷台の大きさ 長:1,940mm 幅:1,410mm 高:1,380mm (幌高) |
すみずみまでフラットな荷台。引越しなどの大きな荷物もロープフックでしっかり固定。大型荷物、大量物の運搬に最適です。 |
赤帽植原号紹介幌室内の高さ138cm/158cm/178cmに高さ調整できます。5MT ・ AWD (4WD) ハイルーフ ルーフキャリア付き |
| |||
運転席の上にルーフラックを取り付けています | 工具箱の中に秘密兵器が入っています | フロントシェルフ | 室内灯はLEDを使用しています |
ETC2.0対応カーナビゲーションシステム | GPSレーダー | ノンストップ料金収受システム ETC2.0(DSRC) | アームレストで社長気分で運転してます |
赤帽植原運送のトラックの広さ |
車種トラック | ||
荷台(室)長 1,940mm
荷台フロア長 2,030mm
荷台(室)幅 1,410mm
【幅が広い。奥が深い。しかもぴったり積める】
トラックは荷台長1,940mm、荷台幅1,410mmを確保。しかもキャビンの背面がフラットだから、箱やコンテナも効率よくぴったり積めます。
小さなみかん箱なら、ななっなんと120ケース積めます |
| ||
みかん箱がなんと120ケース積めます | 最大積載量は350kgです! |
赤帽専用サンバー |
パネルバン | ||
荷台の大きさ | |
長:1,915mm | 幅:1,320mm |
高:1,245mm | 最大積載量は350Kg |
左右スライドドア、リヤゲートの3方向が開くので、荷物の積み降ろしが容易。 密閉性に優れ、雨やホコリから荷物をしっかり守ります。
トラック | ||
荷台の大きさ | |
長:1,940mm | 幅:1,410mm |
高:1,290mm | 最大積載量は350Kg |
すみずみまでフラットな荷台。引越しなどの大きな荷物もロープフックでしっかり固定。大型荷物、大量物の運搬に最適です。
バン | ||
荷台の大きさ | |
長:1,875mm(運転席側) | 1,845mm(助手席側) |
幅:1,320mm | 高:1,220mm |
広くフラットな荷室にくわえ、左右の大開口スライドドア、大型リヤゲートの3つのドアが配達の効率をアップします。
赤帽専用4気筒EGIエンジン
4気筒ならではのスムーズな吹け上がりと、マルチポイント・インジェクションの採用などによる低燃費や走りやすさが魅力の4気筒EGIエンジン。さらに赤帽専用エンジンでは、白金プラグの採用やフリクションの低減などにより、燃費性能はもちろん耐久性、信頼性、出力特性をさらに向上しています。
赤帽専用車 | ||
全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会(以降、「赤帽」)が使用する車は例外を除き全てサンバーが使用されていた。これは赤帽が開業当時、軽自動車がまだ非力な車で耐久性もあまり高くなかったため、赤帽の組合員から「普通のエンジンでは赤帽の業務に耐えられない」という意見が出され、耐久性能や出力を上げた赤帽専用車両の製作を自動車メーカーに依頼したが、まだ小規模であったために取り合ってもらえなかった中、唯一前向きな姿勢を見せたのが富士重工であった為とされている。以来30余年を経て、2万台を超える車両が数年でリプレースされていく巨大な市場であった。
赤帽専用サンバーは国土交通省の型式指定認可をうけた専用車両である。赤帽車で使用されているエンジンは、各部に設計変更と強化部品の組み込みが施されており、耐久性が大幅に向上している。小排気量による貨物輸送という、高負荷でかつ、長距離を走る過酷な使用状況でありながら通常の整備で20万kmまでオーバーホール不要で使用できる。なお、赤帽車のエンジンはカムシャフトカバーに赤のチヂミ塗装が施され、見た目も「赤帽」となっており、一般のエンジンとは区別されている。出力などのスペックに関しては、一般のエンジンと同様である。その他、以下に代表される多数の専用部品が装備されていた。
初代赤帽車 | ||
1975/05/12-赤帽誕生。 「庶民の庶民による庶民のための運送業」を目標に、9尺2間、 机2台、4坪の事務所で、たった1台の赤帽車でスタートいたしました。 |
初代 サンバーバン | ||
初代(1961年-1966年)
初代モデルはスバル360の開発者でもある富士重工業の百瀬晋六をチーフエンジニアとして、スバル360の完成直後から開発着手され、1960年(昭和35年)の東京モーターショーで発表、翌1961年(昭和36年)に市販された。
初代モデルはスバル360の開発者でもある富士重工業の百瀬晋六をチーフエンジニアとして、スバル360の完成直後から開発着手され、1960年(昭和35年)の東京モーターショーで発表、翌1961年(昭和36年)に市販された。
赤帽植原運送 |